清水寺の境内をご案内します。
【観 音 堂】
五間四面の銅板葺(もとは茅葺)の建物で、本尊十一面観音様をお祀りしています。
文化10年(1813年) の改築で、昔の浅草観音のお堂を模したと言われ、この時で4回目の改築と伝えられています。
堂内には、花巻の絵師八重樫豊沢(ほうたく)の蛤観音絵馬や算額などがあります。
土縁正面には、「清水護寺」の額が掲げられていますが、第40代盛岡藩主南部利剛(としひさ)公(南部家最後の殿様)の書です。
【観音堂 内部 】
内陣正面の祭壇内には、慈覚大師作と伝えられる7尺余りの観音様が安置され、その中に御本尊の十一面観音様が納められていると伝えられていますが、秘仏のため御開帳の時以外は拝観できません(最後の御開帳は昭和3年です。)
祭壇前にある大きな十一面観音像様は、御前立の観音様として平成12年に南部屋敷社主葛巻久八氏により寄進されたもので、花巻の仏師佐藤瑞圭師の作です。
【山 門 (仁王門)】
この山門は、それまでの山門が腐朽したため昭和初期に再建されたものです。
昭和2年11月に完成し、翌3年8月15日に落成法要が行われました。
大工棟梁は地元太田村の宮原吉太郎師、彫刻師は青森市の中村隆造師です。
屋根は当初瓦葺きでしたが、その後トタン葺きに改め、さらに平成19年に銅板葺に改修されています。
【山門 二階 】
楼上には、当国三十三所観音霊場の観音像が安置されています。
山門の再建に併せ、近郷の信者の方々のお力により、各講中のご寄進により安置されました。
昭和2年11月6日に安座式が盛大に行われました。隣峰の昌歓寺より白衣の巡礼姿の2,500名の女信徒に護られての行列が繰り出したとのことです。
※通常は施錠していますので、拝観を希望される方は寺務所まで御申しつけ下さい。
【千体薬師堂】
かつて、茅葺の薬師堂がありましたが、昭和30年代に風害により倒壊してしまいました。
そこで、花巻市内はもとより北上市や沿岸など多くの方々から、浄財のご寄進を頂き昭和40年に鉄筋コンクリート造で再建されました。
堂内には、ご寄進者のお名前を記した薬師如来像が、1,000体以上も祀られており「千体薬師堂」と称されます。
中央の御本尊薬師如来座像は、花巻の仏師佐藤瑞圭師の作です。
【慈眼水堂(目洗いすず)
境内の北方約100mに「慈眼水」と言われる井戸があり、この井戸の水で眼を洗うと霊験があると言われ、今も水を汲んでいく人が絶えません。
当寺の観音様は、眼の観音様とも言われ昔から眼病平癒の祈願も多く、境内には病が治ったお礼の石標などもあります。
古文書には「この寺の境内に三所の清水あり。一つは慈眼水という。二つは門外の南にあり内室の清水という。三つは寅の方にあり光明水という。この三水は当寺根本の霊水なりと言い伝わる。」との記述もあります。
【子持ち杉】
境内の入口にある、幹が4つ又に分かれた大きな杉の木が「子持ち杉」と言われています。
江戸時代の初め、花巻城士岩間九右衛門夫妻は子宝に恵まれず、清水の観音様に祈願したところ玉のような女の子(お百合)を授かりました。
お百合は長じて盛岡城に上がり、三十代藩主南部行信公の側女になり、嫡子は三十二代利幹(としもと)公、嫡孫は三十四代利雄(としかつ)公になりました。
二人の藩主は、幼少の頃から母(お百合の方、後の心光院)に伴われ、しばしば清水観音に参詣したとのことです。
岩間夫妻は、お礼に観音様に所領の一部を寄進し、記念に杉の木を植えたと伝えられ、それが現在の「子持ち杉」と言われています。